憂鬱メロン

音楽とサッカーが好きです。備忘録。

キミの心の"ブラック・ピーター"

思うところがあったので、今日の午後にNHKEテレで放送された、教育番組の国際コンクールのグランプリ日本賞を獲得した『キミの心の"ブラック・ピーター"』という作品について書きたいと思います。

内容は、NHKのページから引用した、以下の通りです。

黒塗りのメイク、少しおどけた姿でサンタクロースとともに歩くブラック・ピーター。オランダのクリスマスには欠かせない伝統的なキャラクターが、社会を二分する議論となっている。植民地時代から続く人種差別の名残なのか。それとも伝統行事の中の悪意のない慣習なのか。この番組は、オランダ人の心の中に潜んでいる植民地時代からの差別意識をあぶり出そうという試みだ。近くにいる人たちに容赦なくインタビューのマイクを向け、公園では自転車の鍵を壊す黒人に対する人々の振る舞いを撮影する。そして、オランダの人たち全てに問いかける。クリスマスの行列の中にいるブラック・ピーター。それはあなたの心の中にある隠された差別意識ではないのですか?

 

www.nhk.or.jp

 

残念なことに、途中からの視聴となってしまいましたが、「無意識下の差別」に焦点を当てた作品だったのではないでしょうか。内容は非常に示唆に富んでおり、「伝統的」に、また、子供の頃から「当たり前」に行われていた行事が差別に当たるのかどうかを判断する基準が、当事者たちとその外の人たちでは全く異なることが示され、「なんとなく」の感覚で差別をする主体になりうるという危険性が感じられました。

 

非常に興味深い内容だったため、放送後に未視聴部分を補完しようと、Twitterで未視聴部分の内容を調べたところ、『公園に停めてある自転車の鍵を壊して盗む行為主の人種の違いによる周囲の反応の違いを調べる実験』が気にかかりました。

(結果としては、白人は通報されず、黒人は通報されまくるという結果になったようです。)

 

なぜこの実験が気にかかったのかというと、以前動画で見たことのある、似たような実験を思い出したからです。内容は、黒人の男の子と白人の男の子がお金を貸してくださいと頼んできた時の街の人(白人)の反応の違いを明らかにして、人種差別の現実を示そうとするものでした。

(結果は前述の実験と同じようなものでした。)

 

こういった調査では、「差別を受ける黒人」と、「差別をする(悪い)白人(≒私たち)」という構図が成り立つかと思います。

 

しかし、私は、人種差別問題を、「白人vs有色人種」という構図で捉えるのではなく、「被差別者vs差別を生む場」という構図で捉えるべきなのではないかと思います。なぜなら、大きな差別が小さな差別を引き起こしている、というのが私の考えであるからです。

個人の人種差別的な性格に反省を促しても、それらの差別を生む原因となっている差別について追求しないのでは、永遠に差別は無くならないでしょう。

 

たとえば、黒人による犯罪率の高い地域で、上記のような調査が行われていたとします。すると、数として、黒人に対して差別をする人が多く出てくるでしょう。そして、その差別は一部の急進的なレイシストを除いて、不安に端を発していると考えられるのではないでしょうか。もしそうであれば、肌の色は、差別する際の「判断基準」ではあっても、「原因」ではありません。(勿論、この差別が悪くないとは言いませんが。)

この場合の「原因」は、個人間に存在するのではなく、個人ともっと大きなもの(企業や社会など)との間に存在するのではないかと思います。食べていくことができないから盗みをはたらくのであれば、なぜお金を持っていないのかということに着目すべきですし、黒人が職や学を得られにくい境遇にいるのであれば、まずそれを是正するのが差別撤廃のための第一歩だと私は考えています。

 

長々と書きましたが、結局何が言いたいかというと、単純に、映像に出てくるような差別主義の白人disをして、自分の正義感を満足させても世の中は全くよくならないんだということです。

単純化されたものをそのまま受け取ることは簡単ですが、そうならないようにしたい!と思った年末でした。

 

追記:『キミの心の"ブラック・ピーター"』の本筋からは大分ずれてしまいましたが、この作品は、誰もが差別意識を持ち、差別問題の加害者になり得るという、「認めたくはないけれど、認めなければならない事実」を、一方的に示すというよりも、悟らせるような構成で伝えていて、とてもためになるものだったと思います。再放送があったらうれしいのですが、どうだろう…?