Goose houseを聴く人間とは仲良くなれそうにない
内容はタイトルの通りです。
年始のゴタゴタやら試験対策やらで、何かすべてがどうでもよくなり、頭を空っぽにしてGOING STEADYの銀河鉄道の夜をYoutubeで聴いていたんですが、関連動画で表題のグループのサムネイルが目に留まり、再生回数の多さを見て、見てみることにしました。
鳥肌が立ちましたね。悪い意味で。(カメラ目線…)
音楽は好き嫌いが分かれるとは思いますが、これはちょっと受け入れられませんでした。
この曲は、峯田があの曲で、あの声でガチャガチャ歌ったから思春期の若者の胸を打ったわけで、こんなにきれいな、こんなにきちんとしたものじゃ断じてねぇ!!!と思うんですよ。
「青春は甘酸っぱい」の酸っぱさが、泥と一緒に、部活後の男子高校生のユニフォームに染み付いた、酸っぱい匂いから来た説を支持する私としましては、どうしてもこのカバーを受け入れられないのです。そしてそんな、酸いも甘いも一緒くたになったのが青春で、臭っさくて、汚ったない、消し去りたいような過去があるからこそ、青春はキラリと光ると思うんですよ。
ところで、この文章を書いていて、高校時代のある友人を思い出しました。彼はとてもピュアで、顔がよくて背が高く、尚且つ友人思いで性格まで◎という、絵に描いたようなイケメンでリア充(好きな音楽はファンキーモンキーベイビーズ)だったのですが、私は、同じ穴の狢と言いますか、彼とよりも、口が悪ければ彼女もいない、内面に鬱屈としたエネルギーを充填させたような人間と一緒に過ごすことを好んでいました。
たぶん理由としては、私が彼に共感できなかったことが一番だったと思います。イケメンの悩み話を聞いても、「へぇ〜、すごいな俺にはわかんないや」とか、「お前にも悩みがあるんやな…」ぐらいしか返す言葉がありません。私はイケメンでもなければ、性格も良くないため、彼の立場になって物事を考えることはとても大変なことでした(というか不可能でした)。
そして、それと同じように、Goose houseの銀河鉄道の夜にも共感できないのです。6分14秒もリア充のキラキラしたした青春を直視できないのです。
恐らく、Goose houseやファンキーモンキーベイビーズを聴く人たちは、とてもピュアで、(私からすれば)キラキラした青春を過ごしている(過ごした)人なのでしょう。私にはこういった人の考えていることは分かりませんし、逆に言えば、彼らも私の腹の底にある感情を理解することは難しいはずです。
そして、だからこそ、私はこの動画を受け付けないのでしょう。「私たち側」にあると思っていた曲を、「あちら側」の人がカバーしたことで、自分のことを分かったような気になられたのだと感じたのかもしれません。
そういうわけで、Goose houseを聴く人間とは、本当の意味で分かり合うことができないだろうし、仲良くなれないだろうと思うのです。