憂鬱メロン

音楽とサッカーが好きです。備忘録。

マジョリティの認識についての話

 タイトルが難しい感じになってしまいましたが、この間言語学を専攻する教授から面白い話を聞いたので、ブログに書こうと思いました。思い出しながら書くので、時系列や情報の正確性については保証できませんので悪しからず…

 

ガウディの建築をはじめとした観光資源が日本でも有名で、近年では独立問題についても取り上げられるようになったカタルーニャですが、そこで暮らす人々によく使われる言葉として、カタルーニャ語というものがあります。

このカタルーニャ語は、1936-75年フランコ将軍が独裁をする間、公的な場での使用をずっと禁じられてきました。そのため、この言語を母語とする人たちは、家の中や、または親しい友人たちと話すときにそれを用いるくらいで、当時は「内の」「私的な」言語として人々に認識されていました。反対に、カスティーリャ語スペイン語)は「外の」「公式な」言語としての認識が広まっていました。

月日が流れ、フランコの独裁は彼の死によって終わりを告げましたが、時期を同じくしてカタルーニャで「あなたはカタルーニャ語を使えますか?」という旨の質問が盛り込まれた住民調査があり、そこで「Sí.(はい。)」と答える人の数は非常に少なかったそうです。

しかし、数年後に同じ質問がなされたところ、百万人単位でカタルーニャ語話者が増えていたそうです。学校教育による影響だけでは考えられないような伸び率であったため、言語学者たちは調査対象となった人々が、「私たちの使っているカタルーニャ語カタルーニャ語だったんだ。」と認識できるようになった結果、このような数値の増加につながったのだろうと予測しました。

つまり、「私的な」言語であったカタルーニャ語は、それまで公の場で使われることはなかったため、その話者たちは自分が話している言葉がカタルーニャ語だということに確信を持てずにいました。しかし、独裁後に公的な場での使用が可能になり、カタルーニャ自治政府の市民への働きかけなどが実を結んだ結果、カタルーニャ語が「外の」「公的な」言語としても人々の間で認識されるようになったのです。

ですから、言語政策を行う際には、言語の教育体制を整えることに加えて、その言語を話すことができる人に話しても良いということを認識してもらい、実際に使用してもらうことが大事なのだそうです。

 

話は移りますが、私たちは日常的に日本語を話しています。そして、自分たちの話す言語が日本語だということを疑うことはありません(それを疑うまでに自己省察している方がもしお読みでしたらごめんなさい)。それは何故でしょうか?

理由の一つとして、学校教育の場で「日本語というものはこういうものだよ」ということを小さい時から体系的に教えられているということが挙げられます。考えてみればカタルーニャ語の例も日本語の場合も納得することができますが、マジョリティ側の論理が正当で、当たり前だとされている世界では、こういったことに疑問を抱くこともなかなかできません。

これは言語に限った話ではなく、自分たちが当たり前だと思っていることにも、実は何らかのバイアスがかかっていて、それゆえにその判断において行われた行動には罪悪感といったものが生まれにくいのではないかと思います。自分たちがマジョリティであった場合、私たちの当たり前がマイノリティに押し付けられているかもしれませんし、傷つけてしまっているかもしれません。ですから、本当に相手のことを考えるのならば、まずは自分自身を疑わなければならないのかなと思いました。

 

 

今日の一曲


Qomolangma Tomato - Through Your Reality