憂鬱メロン

音楽とサッカーが好きです。備忘録。

「アイデアとユーモア」 −星野源『アイデア』とヘッセの『荒野のおおかみ』−

最近PUNPEEやSuperorganismとの楽曲を発表し、そのクオリティーの高さから、そしてその引き出しの多さから、ライト層からディープな音楽ファンまで唸らせている星野源。この『アイデア』という曲も発表当時からかなり話題になっていた。

 

この曲で歌われている「アイデア」とは、僕の好きなヘッセの小説『荒野のおおかみ』で謳われている「ユーモア」ではないか?と思えてならない。

 

小説の要約(かなり観念的な内容で、読み進めるのも理解するのも、自分の知能では大変に骨の折れる作品なので、うまく要約できているか自信はない笑)

『極めて精神的な人間である主人公"ハリー"は、欺瞞や脚色の溢れる世界で生きていくことに絶望しつつも、死ぬ勇気もなく、生にしがみついている。しかし、高級娼婦ヘルミーネとの出会いを通じて、この絶望的な現実世界(極めて感性的)で生きていくために「ユーモア」を学んでいく』

 

では、そもそも「ユーモア」とは一体なんなのか?ということだが、この作品を読んだ上で定義付けをするのであれば、「現実世界で絶望に面したときに、工夫や発想の転換、閃きによって絶望(現実世界)を超越すること、またその能力」であり、作中では、それを以て現実世界に参画し、影響まで与えている人々が「不滅の人々」として描かれている(ゲーテモーツァルトなど)。

 

長い前振りを終え、ここからが漸く星野源の『アイデア』への感想になるのだけれども、この曲は三部構成になっていて、最初の二部を「朝」と「夜」という言葉で表している。

これを『荒野のおおかみ』的に言うのであれば、「朝=感性=ヘルミーネ」と「夜=精神(観念)=ハラー」の世界と捉えられないだろうか。感性の世界の住人であり、瞬間瞬間を精一杯楽しむヘルミーネと、精神の世界の住人であり、世界を愛してはいるが、その世界との不一致を常に感じて生きているハリー。

人間は美しいと思うものだけに触れて生きていくことはできない(どちらかだけの世界の住人ではいられない)。モーツァルトゲーテの素晴らしさがわかったとしても、それだけではこの現実世界では生きていけないのと同様に、美味しいものを美味しい、気持ち良いことは気持ち良いと刹那的な感情だけで生きていくことはできないのだ。

 

そういった、本来的には別々である感性と精神の世界を繋ぐのが「ユーモア」であるわけだけれども、それを踏まえて歌詞を見てみると、

 

第一部では、

『夢を連れて繰り返した 湯気には生活のメロディ 鶏の歌声も 線路 風の話し声も すべてはモノラルのメロディ 涙零れる音は 咲いた花が弾く雨音 哀しみに青空を』と歌われている一方で、

第二部では、

『虚しさとのダンスフロアだ 笑顔の裏側の景色 独りで泣く声も 喉の下の叫び声も すべては笑われる景色 生きてただ生きていて 踏まれ潰れた花のように にこやかに中指を』と歌われている。

 

第一部は身体がフォーカスされていて、世界の美しさを感じ取れる豊かな感性を歌っているような歌詞であるのに対し、第二部では精神がフォーカスされていて、世界との乖離・孤独が感じられる歌詞である。ぱっと見では単純な明暗の対比のように見えるけれど、第一部でも「モノラルのメロディ=平面(表面)的な美しさ?」とあるあたり、人間が生きていく上で避けて通ることができない二つの世界の間での葛藤が表現されている。

 

『つづく日々の道の先を 塞ぐ影にアイデアを 雨の音で歌を歌おう 全て越えて響け』

 

第一部〜第三部まで共通して使われている一節であるこの歌詞は、人生における絶望に対峙した時のユーモアを歌っているように思えてならない。そのユーモア(アイデア)と言うのが、第一部(感性面)では哀しみに対する「青空(=喜び)」であり、第二部(精神面)では抑圧に対する「にこやかな中指(=皮肉)」である。

 

『闇の中から歌が聞こえた あなたの胸から 刻む鼓動は一つの歌だ 胸に手を置けば そこで鳴ってる つづく日々の道の先を 塞ぐ影にアイデアを 雨の中で君と歌おう 音が止まる日まで』

 

この第三部の歌詞では、気づき(=閃き=ユーモア)によって、闇=絶望の中で生を肯定した上で(感性面と精神面が繋がった!)、人生を生きていこうという人物像が描かれていますが、身近なところでは、いつもの通勤路も、電車の窓からの景色も、その時聴いている音楽や読んでいる本によって違って見えることがあるのではないでしょうか。そういった「アイデア」を以てつづく道を歩いていきたいと思える素晴らしい曲だと感じました。

 


星野源 – アイデア (Official Video)

 

追記

勿論星野源氏にも悩みや色々な葛藤があるのだろうけれど、彼のジャンルの垣根を超えた大活躍(音楽だけでなく俳優業なども)を目の当たりにすると、この人も「不滅の人々」の一人なのでは…と思えてならない。